なぜ、人は知っていても語れないのか──シチリア文学『真昼のふくろう』を読んで

沈黙は臆病だから生まれるのではありません。組織や家庭に潜む「口を閉ざす仕組み」を、一冊の小説が鮮やかに描いていました。
秋山ゆかり 2026.07.13
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東京外国語大学の公開講座「シチリア文学」、全3回のうちの2回目です。

1冊目の『生きていたパスカル』では、「自由になれば人は幸せになれるのか」という問いに向き合いました。

今回取り上げるのは、レオナルド・シャーシャの『真昼のふくろう』。

シチリアの小さな町で起きた殺人事件を、本土から赴任してきた一人の大尉が捜査する物語です。犯人は、おそらく分かっている。証人もいる。それでも、誰も語らない。

シャーシャは、この作品でシチリアの「マフィア」を、初めて正面から文学の主題に据えた作家のひとりだと、授業で教わりました。当時のイタリアでは、マフィアの存在そのものが公には語られにくいテーマだったそうです。だからこそ、この小説には、単なる犯罪小説以上の緊張感があります。

原題の「ふくろう」は、真昼の光の中でも、木の陰からじっとすべてを見ている鳥です。町の誰もが、事件の真相を見ている。ふくろうのように。それでも、誰も鳴かない。このタイトルの意味を、読み終えたあとになって、じわじわと理解しました。

前回の記事で、私は「自由には社会がいる」と書きました。今回の作品は、その社会そのものが、ときに人を黙らせる装置にもなり得ることを教えてくれます。自由と沈黙は、思っていたよりずっと近い場所にあるのかもしれません。

読みながら、私はある出来事を思い出していました。

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続きは、3214文字あります。
  • 誰もが真実を知っていた
  • 誰も悪人ではなかった
  • 声を上げると損をする
  • オメルタを破ったのは勇気ではない

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