三菱商事の「総菜」は、本当の解決策なのか——共働き時代に問われる「設計」の発想

福利厚生を充実させることは、本質的な解決なのでしょうか。一つのニュースをきっかけに、家庭、職場、PTA、海外での経験を重ね合わせながら、働き方の根本を考えました。
秋山ゆかり 2026.07.15
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三菱商事が、社員向けに総菜の受け取りステーションを始めました。

共働き家庭にとって、とてもありがたい取り組みだと思います。

でも私は、そのニュースを読んで、別のことを考えていました。

問題が起きたとき、私たちは人を助けているのでしょうか。それとも、設計を変えているのでしょうか。

その数日後、全国最年少町長が「身体的に限界だった」と語って退任するニュースを目にしました。

この二つのニュースは、一見まったく関係がないように見えます。

でも私には、同じ問いを投げかけているように思えました。

その問いを考えていたとき、私が思い出したのは、シカゴ時代の同級生たちのことでした。

私は中高生時代をシカゴ郊外で過ごしました。当時の同級生の多くは、いま、大手金融機関や政府機関で働きながら、子育てもしています。

以前は、「アメリカは制度が違うからだ」と思っていました。

でも、違いました。

シカゴ時代の同級生たちを見ていると、大変さの総量は、日本とそう変わりません。激務も、家庭の負荷も、彼女たちにもあります。アメリカにも、長時間労働はあります。家庭を犠牲にする働き方も、当然あります。

本当に違ったのは、そこではありませんでした。

問題が起きたとき、人を頑張らせるか。設計を変えるか。

少なくとも、私がシカゴで育ち、GEで働く中で出会った人たちは、問題が起きると、まず仕組みを疑っていました。

この違いが、この先の話すべてにつながっていきます。

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