「性格が悪い」とはどういうことか ――日本社会の"善意のダークさ"を読み解く

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心理学を学んだ私でも、身体は凍った
4カ月以上、ムスメは病気で登校できていません。医師から登校禁止が出ています。本人も、安全が確保されなければ登校は難しいと理解し、無理に登校しないと決めています。
学校の展覧会の日、私は受付の手伝いをしていました。名簿を見て、来場者の名前を確認する役です。そこへ、クラスの子の親御さんが近づいてきて、こう言いました。
「登校していないのに、受付手伝ったくらいで帳消しになると思うな」 「迷惑なんだよ」
私は返事をしませんでした。ただ名簿を見続けました。
心理学を学び、ダーク・トライアドという概念も知っています。HEXACOモデルも理解しています。それでも、身体は凍りました。そして翌日になっても、ひとつだけわからないことがありました。
何と何が「相殺」される前提だったのか。
登校していないことが「負債」で、受付の手伝いが「返済」で、それでは足りないという話だったのか。
でも、ムスメの欠席は医師の判断です。本人の怠惰でも、親の怠慢でもありません。そもそも、誰に対する負債なのか。その帳簿は、誰がつくったのか。
この「わからなさ」がモヤモヤとなって止まらなかったので、一冊の本を手に取りました。
小塩真司著『「性格が悪い」とはどういうことか――ダークサイドの心理学』(ちくま新書)。
読み終えたとき、モヤモヤは消えていませんでした。でも、あの場で起きていたことの「構造」が見えるようになっていました。
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- ダーク・トライアドは「異常者」の話ではない
- 日本社会に置き換えると、何が見えるか
- モヤモヤを「統治」する技法
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