言えないことは、どうすれば伝えられるのか──シチリア文学『おやつ泥棒』を読んで
本音を口にすれば、立場を失う。そんな場面は、政治にも、会社にも、家庭にもあります。
直接言えないことを、人はどのように伝えてきたのでしょうか。シチリア文学の最終回では、「伝え方」を考えます。
直接言えないことを、人はどのように伝えてきたのでしょうか。シチリア文学の最終回では、「伝え方」を考えます。
秋山ゆかり
2026.07.20
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Amazon.co.jpより
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同じシチリアなのに、なぜこんなに違うのだろう
第3回は、アンドレア・カミッレーリの『おやつ泥棒』です。
前回まで読んできたレオナルド・シャーシャの『真昼のふくろう』とは、ずいぶん印象が違いました。
シャーシャには、マフィア、オメルタ(沈黙の掟)、国家といった重い空気が流れていました。
ところが『おやつ泥棒』には、おいしそうな料理が並びます。
警察署では、思わず笑ってしまうようなやり取りが続きます。
主人公モンタルバーノは、恋人リヴィアと電話で口げんかをします。
同じシチリアを描いているのに、なぜこんなにも軽やかなのでしょう。
私も最初は、不思議に思いました。
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- でも、描いている問題は少しも軽くなっていない
- 最近、こんな新聞記事を読みました
- カミッレーリは、なぜ「言える」ようになったのか
- 私は、歌で伝えることがあります
- 三冊は、一つの問いを歩いていた
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