『プラダを着た悪魔2』で私が少し残念だったこと——女性のキャリアは、20年で本当に更新されたのか

20年前に励まされた物語を、50代になった私は同じようには見られなかった。働き方と成長を考えた映画評です。
秋山ゆかり 2026.05.18
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ネタバレ注意
※以下、『プラダを着た悪魔2』の内容に触れています。未鑑賞の方はご注意ください。

20年前、私はアンディに励まされていた

映画館を出たあと、しばらく頭の中がざわざわしていました。

『プラダを着た悪魔2』。

あのミランダが帰ってきた。アンディも、エミリーも、ナイジェルもいる。ファッションの華やかさ、編集部の緊張感、テンポのよい会話。懐かしい世界がスクリーンに戻ってきたことは、素直にうれしかったのです。

私は前作の『プラダを着た悪魔』が本当に好きでした。

たぶん、当時の私がまだ若かったことも大きいと思います。アンディが馬車馬のように働く。この言葉は、あえて使います。理不尽な要求に応え、些細に見える仕事にも全力で向き合い、何度も傷つきながら、それでもスキルを身につけていく。

今の感覚で見れば、問題のある職場です。パワハラ的な要素もたくさんある。若い人にあの働き方を勧めたいわけでは、まったくありません。

でも当時の私は、あの映画からこういうメッセージを受け取っていました。

どんな仕事にも意味がある。小さな仕事を雑に扱わない人だけが、大きな仕事を任されるようになる。馬車馬のように働いた先に、自分が本当に信じるキャリアを選ぶ力がついていく。

だから、仕事をきちんとがんばろう。どんな些細な仕事でも、ちゃんとやろう。それには意味があるのだから。

若かった私は、たぶんアンディの側にいました。不器用で、必死で、でも自分の中に譲れないものがある。そんなアンディに、励まされていたのだと思います。

だからこそ、続編を観ることを楽しみにしていました。

20年後の彼女たちは、どうなっているのだろう。あの激しい職場をくぐり抜けたアンディは、どんなプロフェッショナルになっているのだろう。ミランダは、あの圧倒的な美意識と権力を持ったまま、どんなふうに時代と向き合うのだろう。

そんな期待がありました。

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続きは、4447文字あります。
  • 現代化はされている。でも、本当に更新されたのか
  • ミランダにも、もう一歩先を見せてほしかった
  • 『ランウェイ』の未来も、もっと描けたはず
  • いちばんリアルだったのは、エミリーかもしれない
  • 20年前の成功物語の、その先へ

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