いま、私を救ってくれているのは、夫が1時間かけて作る肉野菜炒めです
※この記事にはセンシティブな内容が含まれます
限界ギリギリで生きていた、この数週間
ここ最近、私はずっと限界ギリギリで生きていました。
疲れている——なんて言葉では表せないほどに、心も体も、常にフル稼働している感覚です。
ムスメは、この秋の出来事以来、学校に戻ることができず、心の安全を確保するまで、ひとりで留守番させることができません。
テレワークのできない仕事の日は、できる限り子連れで出勤。数えてみると、この1か月の8割以上がムスメ連れの出勤でした。
電車では隣に男性が座るたびにパニック発作が起きるので、混雑を避け、座る場所を考えて、時にはタクシーへ切り替え……常に安全な空間を探しながら移動しています。
朝の通勤だけで、神経をすり減らす。
そこへ容赦なく、仕事が重なってくる。
トラブル対応、会議の連続、深夜まで続くメール処理。
10歳のムスメを連れて会議室に入り、隅で静かに本を読んでもらいながら、プロジェクトの進捗報告をする日々。守秘義務の高い内容の会議の時には、部屋の外にムスメを出して、ガラス越しに私が見えるように座って、廊下でムスメはひたすら絵をかいて待っている。
会議が終われば「お腹すいた」「疲れた」と訴えるムスメをなだめながら、次の打ち合わせへ。
買い物に行く時間もなく、作り置きのストックは底をつき、夕食のことを考える余裕なんてゼロでした。
帰宅する電車の中で、「今日は何を食べさせよう」と考えるだけで涙が出そうになる。
そして、帰宅後、あまりの疲れで、「キッチンで」倒れるように横になって5分仮眠。そして、食事を作っていました。
この記事は無料で続きを読めます
- 帰宅したら、夫がキッチンに立っていた
- ケアする人を、誰がケアするのか——「ケアの連鎖」という考え方
- 夫は、もともとすごく優しい人だった
- 完璧じゃなくていい。1時間かけた肉野菜炒めでいい。
- 環境が人を変え、環境を変えれば人は戻れる
- 第3章を終えて:家族プロジェクトは、ここでいったん完結します
すでに登録された方はこちら