情熱か狂気か──バレリーナが命を賭けて越えた“最初の扉”の記録

芸術のために人生を賭けた少女がいた。
彼女は、ロシアの名門ボリショイ・バレエ団に入団した初のアメリカ人。
映画『JOIKA』と回想録が描くのは、“最初の扉”のその先の、過酷な現実だった。
秋山ゆかり 2025.05.26
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赤いベルベッドの向こうに、私が見たもの

「ジョイ・ウーマック」——その名前をはじめて耳にしたのは、2013年のことでした。ロシア作品を多く演奏するようになり、ちょうどロシア公演の話が舞い込んできた頃。アメリカ人の女の子がボリショイ・バレエアカデミーにアメリカ人として初めて正式入学し、ついには入団。しかもその後、汚職を告発して世界に衝撃を与えた——そんなニュースに、心を大きく揺さぶられたのを覚えています。

世界中の少女たちが憧れる舞台、ボリショイ・バレエ。その扉は長い間、ロシア人以外には固く閉ざされていました。その象徴的な殻を破ったのが彼女、ジョイ・ウーマックだったのです。カリフォルニア州ビバリーヒルズ生まれの少女が、モスクワのボリショイ・バレエ・アカデミーに15歳で入学し、赤の卒業証書(最優等)で卒業した初のアメリカ人となり、2012年にボリショイ・バレエ団とソリスト契約を結んだという事実は、まさに「不可能を可能にした」物語でした。

それから10年以上の歳月が流れた今年、彼女の回想録『Behind the Red Velvet Curtain』が出版され、それに合わせて実話をベースにした映画『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』が日本で公開されました。あの時からずっと彼女の動向を追ってきた私にとって、これはまさに"答え合わせ"のような時間でした。

私たちが通常目にするのは舞台上の完璧な姿。しかし、その美しさがどれほどの犠牲と痛みの上に成り立っているのか、普段はベールに覆われています。タイトルにある「赤いベルベットのカーテン」とは、まさにその象徴なのでしょう。華やかな舞台の裏側で何が起きているのか——その現実を、一人のアメリカ人バレリーナの視点から描き出した作品は、単なるサクセスストーリーではなく、芸術という名の下に隠された残酷さをも映し出しています。

自分を犠牲にしても、舞台に立ちたいという狂気

芸術の世界の片隅に身を置いてきた私には、ジョイの"狂気"とすら呼ばれた執念が痛いほど分かります。「うまくなりたい」「あの場所で踊りたい」——その一心で、ロシアへ。そして、現地の文化、言語、身体感覚の違いに晒されながら、あえてイバラの道を選んだ。映画では、ロシア人でなければ入団できないならばと、ロシア人ダンサーと結婚し、親がもうやめなさいと迎えにくるシーンもありますが、それでもアメリカに帰らない。

回想録と映画から垣間見えるのは、ロシアバレエの徹底した厳格さです。ワガノワ・メソッドと呼ばれるロシア式バレエ教育は、外国人ダンサーにとって「最初からやり直し」を意味します。技術を一度解体し、再構築する——それは身体的にも精神的にも過酷なプロセスです。アメリカでワガノワ・メソッドで教育されたからとて、本場に行けばさらに厳格。アカデミーへの適応は並大抵のことではなかったでしょう。

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  • 傷ついた先に見える、新しい”HOME”
  • "最初の扉を開ける人"としての使命

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