再建のルール1-2 低空飛行の時間は、失ったものを数えるだけの時間ではない

「ここが底なんだ」と、わかってしまう瞬間がある
人生には、どうやってもうまくいかない時期があります。
努力すればなんとかなる、工夫すれば抜けられる、気持ちを切り替えれば進める。
そういう種類の壁ではなく、もっと深いところで、「ああ、今はそういう時期なんだ」と認めざるをえない時間があります。
私にも、そういう時期がありました。
ムスメの入退院が年に6回あった年、私はほとんどの時間を病院で過ごしていました。
昼も夜も、病室を中心に時間が回る生活です。仕事の予定を組んでも崩れる。考えようとしても途中で中断される。未来を思い描こうとしても、まず目の前の治療や付き添いが優先される。そんな日々でした。
ある夜、入院した部屋の窓ガラスに映った自分の顔を見て、私はふと思いました。
ああ、私のキャリアは終わった。
私の人生は、このままずっと病室の中なのかもしれない。
かなり暗いですよね。
でも、そのときは本当にそう思ったのです。
当時、ムスメは3歳になったばかりでした。
しかもその頃は、ベッドの上で「生きているのが辛い」としきりに言っていた時期でもありました。
私は児童精神科医や小児科医と相談しながら、彼女にこう伝えました。
「ママのエゴだけど、あなたと一緒に年をとっていきたいの」
でも、あのときの私は、それを本当にそう思っていたのかどうか、自分でもよくわからない部分がありました。
もちろん、ムスメに生きていてほしい。
一緒に生きていきたい。
それは本当です。
でも一方で、自分自身もかなり限界のところにいて、感情も現実も、きれいには整理できていませんでした。
ただ、そのときひとつだけ、はっきりわかっていたことがあります。
ここがボトムなんだ。
今は底だ。
これはたぶん、人生の底の時期なんだ。
そういう感覚がありました。
不思議なもので、底だとわかると、少しだけ見え方が変わることがあります。
絶望ではあるのだけれど、同時に「では、この底をどうやってやり過ごすか」という問いに変わるからです。
私はその頃、遅かれ早かれ、ムスメは手術などを経て病気を克服していく日が来るだろうし、そのときには私もまたキャリアをなんとかできるようになるのではないか、と考えていました。
そして、こうも思っていました。
キャリアさえ途切れさせなければ、低空飛行でも飛んでさえいればいい。
いや、いったん墜落しても、また飛び立てばいいんじゃないか。
この考えは、その後の私をかなり支えてくれたと思います。