偏愛と妄想で未来を描く──アート思考で読む『妄想美術館』のすゝめ

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「ルーヴルに行ったことがある」と「ルーヴルを楽しめる」は、まったく別の話。 あなたは美術館で、本当に自分の心と向き合えていますか?
先日のアート思考ワークショップで、ある参加者がこんなことを言いました。
「美術館に行っても、何を見ればいいのかわからないんです」。
その瞬間、私は原田マハ×ヤマザキマリ氏の『妄想美術館』を思い出していました。
この本は、知識武装して美術館に挑む必要なんてないことを、優しく、そして確信を持って教えてくれる一冊です。
ピッティ宮で妄想し、ボーボリ庭園でぼーっとする
『妄想美術館』を読みながら、思わず「うわ、ここ全部行ったことある!」と声が出ました。 ニューヨーク、ロンドン、フィレンツェ、ローマ...世界各地の名だたる美術館たち。
私は観光らしい観光をする余裕もないほど、仕事で世界を飛び回ってきました。
でも、その合間に駆け込むように立ち寄っていた美術館の数々が、本書の中に並んでいたのです。
ああ、確かに私、美術館が好きなんだ——と、改めて気づかされた瞬間でした。
フィレンツェに留学していた頃、私が毎週のように通っていたのがピッティ宮殿でした。 ウフィッツィ美術館ももちろん素晴らしいのですが、どこか“知っている気”になってしまう。テレビや書籍で目にした名画たちは、鑑賞というより情報確認のように感じてしまう瞬間があるのです。
その点、ピッティ宮はまったく違いました。知らない作品が山ほどある。構図も妙だし、人物のポーズもぎこちない。でも、だからこそ想像が膨らむ。
「この人はどんな人生を送ったのか?」
「なぜこの絵を描いたんだろう?」——
そんな妄想をして、あとで調べて、「へぇ〜!」と驚いて、また見に行く。
その繰り返しが楽しくて、いつの間にか“偏愛”の芽が育っていた気がします。
絵を見終えたあとは、必ずボーボリ庭園(ピッティ宮殿の裏に広がる庭園)で“ぼーっと”していました。 空を見て、風を感じて、ただ漂う。 声楽を学んでいた私は、ときどき、絵や彫刻からインスピレーションを受けた曲を、静かに口ずさんでいました。 そんな「何もしない時間」のなかで、頭の中で種のように植えられたイメージが、ゆっくりと芽を出していた気がするのです。
今思えば、あの時間こそが、私のアート思考の基礎になっていたのかもしれません。

見たものを、身体で感じ直す場所。風と一緒に、私は歌っていた
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