いじめっ子の心に何があったのか?——『ワンダー』で親子が学んだ「もうひとつの視点」

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なかよし学級の体験から生まれた親子の対話
数年前の夏、ムスメと一緒に、ある特別な出会いを経験しました。 児童館に通っていた頃、毎日やってくる「なかよし学級」の子どもたちと関わる機会がありました。ある日、指導員の先生から「あなたたち、お願いね」と声をかけられ、ムスメと友人は、その中のひとりの女の子と一緒に遊ぶようになりました。
ムスメは、「やさしくしなくちゃ。だって彼女は身体に障害があるんだもん」と言いながらも、心の中では、自分のやりたいことや、いつもの友達との時間との間で、葛藤を抱えていたようです。
そんなある日、ムスメの友達が「がんばって遊ぼう」とし続けたことに疲れてしまい、突然泣き出して家に帰ってしまいました。 ムスメはその夜、私にこう言いました。
「なかよしさんのことは好き。でも、毎日じゃなくていいと思う。私たちは“助ける人”って決まってるわけじゃないし……」
私はムスメに、私の友人の話をしました。 車いすを使っている人、耳が聞こえない人。 でも私にとっては、「障害があるから友達になった」のではなく、「魅力的な人だから友達なんだよ」と。
たとえば聴覚に障害のある友人は、音が聞こえなくても私のコンサートに毎回足を運んでくれます。私は彼女が振動で音楽を感じられるように、必ず数曲はホール全体に超高音で響く構成を入れるようにしています。彼女は世界中を旅し、旅先でのトラブルを面白おかしく話してくれるユーモラスな人。彼女の「聞こえない世界」は、私には見えなかった世界を教えてくれます。
「ねえ、ママがその友達と一緒にいるのは、障害があるから? それとも、面白くて大切な友達だから?」 そんなふうにムスメに問いかけたとき、ふたりで静かにうなずき合ったのを、私は今でもよく覚えています。
誰かと友達になるって、そういうことだよね—— この経験は、ムスメと私にとって、「人とどう向き合うか」を深く考えるきっかけになりました。
「ワンダー」との出会い——最初は読みたがらなかった理由
そんな体験があったからでしょうか。私がR・J・パラシオの『Wonder ワンダー』を図書館で借りて読み始めた時、ムスメは興味を示したものの、すぐには読みたがりませんでした。きっと、なかよし学級での体験を通して、障害に関する複雑な感情と向き合っていたのだと思います。
ところが、ムスメのクラスでいじめが起きて、ムスメ自身もその渦中の人となり「おかしい!」と怒っていた時に、私はそっとこの本を差し出しました。するとムスメは本編と『もうひとつのワンダー』の2冊を読み、映画『ワンダー 君は太陽』も一緒に見ることになったのです。
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- 原作『Wonder ワンダー』が描く多面的な物語
- 『もうひとつのワンダー』が明かす「いじめっ子」の心
- ムスメが学んだ「物事の見方」の多様性
- 『もうひとつのワンダー』が教えてくれた深い洞察
- 親として学んだ「聞く」ということの価値
- 夏休みに親子で読む価値——セットで読むことの意味
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